幸福なひととき
先日の夕刻、タクシーに乗った時のことです。運転手さんに「○○迄お願いします」と告げると「はい!承知いたしました」と丁寧な応答。最近は挨拶をしてくれる運転手さんも多くなってきたが、明るい声に「ありがとうございます」という心情が添えられているように感じてホッとする。
感じの悪い運転手さんに乗り合せると目的地に着くまでなんとなく落ち着かない。赤信号の時に
「どうぞ、よろしければ召し上がって下さい」
とキャンディーを出された。その気配りと、耳に心の良い口調でのサービスに
「ありがとう、いただきます。いつも、こうやってお客さんに勧めてるの?」
「ハイ!お客さんによっては、何の返答もなく怪訝そうに見られる時もありますし、そんなのいらないから早くやってとお叱りを受けることもありますが、大半のお客さんは好みもあると思いますが、ありがとうと言ってくれます」
との事。わずかではあっても、時間と空間を共用する絆を大切に仕事をしたいとの事であった。
「この仕事ながいんですか?」
「実はまだ一年なんですよ」
と話は続く。彼が話すには、
「自分は50半ばなんですが、25年間フランスと中国で電子工学関係の仕事を外資系企業でして、それなりの出世もしました。ただある日、日本にすごくホームシックになり両親もすでに他界しているが、『大和魂』が回生しちゃったんです。それで日系の商社へ『ヘッドハンティング』されたんですが、うまくいかなくて辞めました。心に『大和魂』はあるのですが、仕事は合理的、論理的で情緒的にはできなかったんです」
「成程ね、日本は保守的だからね」
とおもわず相づちをうってしまう。
「一人で食べていけるくらいのものはあるのでリタイヤしようと思っていたのですが、たまたまタクシー運転手は食べていけないという週刊誌の特集を読み、どうしてなのかなとなんとなく興味をもって、ちょっとだけみてみようと入社して一年ということなんです」
「英語、仏語、北京語ができるんだから、いくらこんな時代でも働き先はあるでしょうに」
と余計なことを言ってしまったが、運転手さんは、
「ありがとうございます。お金がなければ生きてはいけませんが、食べるだけ位のことならなんとかなるんです。でもまた会社勤務をして責任のある立場になったとき、その会社に人生をつぎ込めるだけの気力、体力が残っていないことに気がつきました。勢いだけでは周囲の人達にも、もし部下をもつとしてその人達にも失礼だと思ったんですよ。これって逃げたんでしょうかね」
彼はおだやかな口調で淡々と話をする。
そして
「でもタクシー業界は食べられない!の記事には妙にそそられちゃったんです。業界でダメをだしているのなら自分で試してみたいと」
「それで一年経った感想はどうですか」
「はい、入ってみて思いました。人それぞれのお金に対する欲望も違いますし、ノルマもありますが、私はお客様との一時を大切にし、一期一会の気持ちをもって“ありがとうございます”と念じていると不思議に楽しく思えるタクシー業界です。良いお客様にもめぐり会えます。要は心の持ちよう一つで働くことが幸福に思えるんです。幸福な心でいると稼ぎもついてきます」
成程、その通りだなと思ってしまう。どんな境遇でも元気に働ける力、場所、気持ちをもって明るく前に進めば「幸福」という財産が生まれてくる。ありがとうございます。生かされている喜びに感謝!そして、こんな素晴らしい運転手さんに出会った15分程の乗車にも感謝!


