140年前のリスクマネジメント
平成16年3月に「ありがとう投信」が上野の町に生まれ、このコラムも入谷の「朝顔市」からスタートしました。それから半年あまりの間に、全国の様々な都市を訪ねました。どの街を訪れてもそこで感じるのは人々の生活です。

社内に掲示されている認可票です。
平成16年を象徴する漢字に「災」の字が選ばれたように、台風の襲来は史上最大の数を重ね、地震は越後の山を揺さぶりました。
確かにこの年も苦しいことがたくさんありました。しかし、それでも人々の生活は続いていきます。東京を離れて、北へ南へ様々な土地を訪れてその場所の空気を吸い込むたびに、その素朴な事実が突然のことのように新鮮に感じられ、同時に自分も長い日本の歴史の中のいまだに生き続けている大きな流れの中の小さな「部分」であると感じます。
先日縁があって、渋沢栄一の子孫の方のお話を伺う機会がありました。それをキッカケに城山三郎の「雄気堂々」で渋沢栄一の生涯を読んでみました。埼玉の豪農の跡取り息子が、攘夷を掲げる運動に加わりながら、後に一転して一ツ橋家に仕え、一ツ橋慶喜について幕府の家臣となってしまう。慶喜の弟の昭武の随員としてフランスに遊学することになる。なんという激しい変転でしょう。

渋沢栄一翁の石像です。

歴史的会談が行われた旧渋沢邸
渋沢栄一は天保十一年(1840年)に生まれ、明治維新、大正と生き抜いて、昭和6年に91歳で亡くなりました。その間にまさに「日本の近代的経済社会の基礎を築く」功績を残したのですが、渋沢栄一が激しく揺れ動く日本の近代史を行きぬく間にも、多くの仲間たちを得、また多くの人々は渋沢のような幸運にも実力にも恵まれず歴史の奔流のような流れの中で名前も残されることなく消えていきました。
社会の転変とはそのように輝かしい光と、影のような広大な広がりを引きずったまま進むものなのだと思います。一人ひとりの人生の思惑などまるで関係なく。そう思ったときに、ふと様々な会社の株式に投資する株式ポートフォリオが頭に浮かびました。歴史を作った多くの人々は日本という国を形作るポートフォリオの中の株式です。
それぞれが精一杯生きていく。ある者はぐんぐん伸び、ある者はつぶれる。全体として日本というポートフォリオは激しい波に揺られながらも成長してきました。その時、人々は「リスク」という概念を持っていたでしょうか?明治維新から「坂の上の雲」に至る時代の人々の物語を読むと、明らかに「日本国」というポートフォリオをはっきり意識していました。その人たちにとって「リスク」や「リスクマネジメント」とは何だったのでしょうか?

京都の紅葉の美しさが忘れられません。
見当違いを恐れずに言えば、おそらく「リスク」も「リスクマネジメント」もまったく考えていなかったでしょう。今の平和な日本ではわかりませんが、あの時代の人々は、「リスクを恐れることこそリスクだ」という言葉にはならない感覚を持って、ひたすら戦っていただけなのでしょう。
「ありがとう投信」のセミナーの旅も、今年の分は終わりました。上野に戻って師走の公園に「西郷さん」の銅像を訪ねると、「敬天愛人」とありました。ここにも1人、「日本国」のポートフォリオのために生きた強烈な「株式」が佇んでいました。
今の私たちは、「リスク」を恐れ、「リスクマネジメント」を望んでいます。「ポートフォリオ」という言葉を知り、すっかり利口になった我々には、「リスクマネジメント」なしに投資を考えることはできないのでしょう。
しかし我々自身が大きなポートフォリオの一部にしか過ぎないのではないか?というへんてこな考えが頭に芽生えた為か、果たして百年以上を経た現代の人間がリスクマネジメントにおいて進歩したのかどうかわからないような気がしてなりません。

ライオンのポーズ???
最近若い女性を中心に「ヨガ」をする方が増えているようです。「ヨガ」には様々なポーズがありますが、「ライオンのポーズ」をご存知でしょうか?まさにライオンが吼える時のように目を剥き、口を大きく開けて舌をできる限り外に伸ばします。ヨガでは呼吸が大事なのですが、おなかに吸い込んだ息を声を出しながら吐き出します。
今から140年前に京都御所の蛤御門の変がありました。戦(いくさ)のない太平の鎖国時代に慣れきった侍たちは270年ぶりに訪れた国を揺るがす戦いに、身を震わせそれこそ息を止めて目を剥いて突っ込んで行ったのではないかと想像します。その時代には「リスクマネジメント」という言葉は存在しませんでした。今は、女性たちが「ライオンのポーズ」でやはり目を剥いていますが、息を大きくゆっくりと吐き出し、「自分のポートフォリオの運用成績はどうだろうか?」と考えています。

京都御所の蛤御門
しかし、私たちは今も昔も大きな社会のポートフォリオの一部分にしか過ぎません。140年前に一ツ橋慶喜(後の徳川慶喜)は蛤ご門で目を剥いて戦っていました。そのときの慶喜はリスクを恐れることは許されませんでした。今の平和な時代の私たちも、そのときの慶喜以上でも以下でもなく、やはり究極にはリスクを恐れることはできないのだと思います。

弊社から徒歩7分の
上野公園に鎮座してます。
上野公園で訊いてみました。
「ねえ西郷さん、そうでしょう?」!!

